玉子の思い出

子どもの頃の私は、玉子を食べて生きていました。

私の育った時代は、日本が高度経済成長した時代と重なります。
そこそこの貧しさも知っているし、豊かさへの夢が実現していくという一番おいしい部分を生きてきたとも言えるでしょう。
食生活も、食べられることのありがたみを忘れない程度の丁度良い需給バランスの時代だったといえるかもしれません。

母親と一緒に買い物に行った町の商店街の様子もいまだ記憶に残っています。

大きな壷でサツマイモを焼いている焼き芋屋(壺焼き芋)。ここでは金魚も売っていました。
シジミ貝を売っている店。ここではドジョウも売っていました。
玉子だけを売っている店。ここではアヒルの卵も売っていました。
そんな小さな店が結構元気に生きていた時代でした。

この玉子専門店(?)では玉子はバラ売りされていて、値段は1個いくらという表示だったようにおぼえています。
大きさによってその値段は違っていましたが、確か1個20円くらいだったでしょうか。
秋刀魚が1匹10円の時代だったから、食材としては高級品だったのでしょう。

私は当時(小学校時代)野菜がまったく食べられない子どもでした。子どものわがままをあまり気にせず育ててくれた親のおかげで、私はほとんど毎日生玉子をおかずにご飯を食べて育ちました。玉子1個でご飯を5杯お代わりした記録(?)も持っています。

この生活の舞台は埼玉県の浦和市(現さいたま市)という所なのですが、当時はまだ田園地帯も広がる自然豊かな地域でした。
庭先でニワトリや山羊を飼っている農家もありました。学校帰りにはそんな庭先に侵入してニワトリの隠し玉子を探したり、山羊に草を食べさせたりして遊んだものです。

当時から気になっていたことの一つに、“ニワトリはいったいどこから玉子を産むのか?”、というのが有りました。
うちの親などは「玉子は産まれてすぐは殻が柔らかいんだよ」などと私に教えてくれていました。このような疑問や間違った情報を持ったまま私は大好きだった玉子の生産者になってしまったのでした。

程なく、全ての疑問は解決されるのですが、世の中に同じ疑問をもたれている方もいるのではないかと思い、ニワトリの産卵の瞬間をウォッチしましたので、参考までに。